日本人と和のこころ
スペインの作庭に懸けた思い
日本に古くから伝わる諺(ことわざ)に「郷に入っては郷に従え」があります。その国の慣習・価値観・感覚などの違いを見つけて従うという教えです。もちろん、日本人としての誇りや自国の文化や伝統を捨てるわけではありません。スペインでもこの諺を基にしながら、日本人の私が生きた証をスペインヘ伝え、永久に残したいという思いから庭づくりが始まりました。
日本人の心は「和」と書く漢字一文字に凝縮され、「和(あ)える、和(なご)む」という二つの意味を秘めているようです。一つ目の「和える」は、日本の食卓に欠かせない調理法で、日本の庭を構成する日本文化の一つでもあります。
この文化によって風土・歴史・民俗・信仰などは複雑に混ざり合い捏ね合わせながら一つのモノゴトが生まれ育まれます。その中の風土を重視してきたのが日本の庭づくりの本質です。初めてこちらの現場を訪れて直観的に弾き出したのは、この地を構成する風土を混ぜ合わせ捏ねながら「和える」という日本人ならではの思考法でした。スペインの風土、そして生活慣習が、お互いの職人の力で和えられ、新しい場としての庭を表現したくなってきました。
二つ目は、「和む」です。
スペインの地を踏み感銘を受けたのは、人々が大切な安らぎの時間帯として過ごされているシエスタという生活慣習でした。さらに「安らぎ」は「和む」に通じ、平和へと昇華していきます。この病院へ訪れるたくさんの人々にもまた地元地域の人々までもが安らいで和んでいただけることをこの庭をつくる真の目的にしました。
木を植え、石を据え、水を落とす
ここに一本の木を植えました。木を植えると木陰が生まれ、土地を癒し、平和のシンボルとなり、私たちに生きる歓びと希望を与えてくれます。「無作為という作為」という言葉が日本にはあります。
石は微妙な角度や向きしだいで、眺める人の心象が大きく変わります。石と向き合い、時には石と格闘するように関わります。それでいて山河に元々あったように感じさせる、私はそれを石組と呼んでいます。
現地のチームの支えがあったればこそ、このプロジェクトが成功したように私たち人間は、支え無しには生きていけない動物のようです。
その象徴にと水が落ちる石の筧は、お互いを支え合う関係を示す漢字の「人」に見えるように据えました。
筧からの一滴の水には、生命と文明の源を、さらに宗教や文化の域を超え、清浄にさせる力があります。これが洋の東西を超えた水の本質ではないでしょうか。
水は落とせば音を発し心身を癒し、小鳥たちは水浴びをしようと舞い降ります。
その姿を目にすれば身近に自然が感受でき、平和を享受できるでしょう。
日本文化には、水や砂を砂利に譬えて表す「見立て」という手法があります。
この庭では、私という一人の庭師を水に譬え、私の心を波紋に見立て、平和の波動がここから全世界へと広がっていくことを表しました。
結び
シエスタはこの庭でゴロンと横になり、水鉢に落ちる水の姿をボウッと眺める。そんな安らぎの時間をと願い、畳を配しました。水鉢の中心から石垣まで八・八メートル、日本語でハチハチと呼びます。「八」という漢字は末広がりを表し、末代まで栄えるというハッピィーな数字です。このため、末広の象徴である扇を描き、その起点に水鉢を配しました。扇の形はブラウン色をした土間打ちで表し、周辺を緑で包むように芝を張りました。ブラウンと緑、この色には人の心を鎮静化させる不思議な力が宿り、私たちのDNAに働きかけ、医療の現場でも活かされています。
八の字と末広がり
約四七〇年前、スペイン生まれのフランシスコ・ザビエルが、日本へ渡り、私たちが暮らす山口へ三度も訪れ、文明の利器を伝え残しました。二十一世紀の今、こんどは日本人六人がスペインへ渡り、庭を伝え残しました。庭は平和でなければ生まれません。平和のシンボルこそ庭なのです。平和ほど尊いものはありません。平和は人類共通の希求であり願望です。ここを起点にヨーロッパへと波動が広がり、真の平和が訪れることを祈念しながら結びとさせていただきます。
二〇一九年二月吉日
有限会社坂本造園
代表取締役 坂本 利男